ロンドンで建設中のサッカースタジアム「ブレントフォード・コミュニティ・スタジアム」について、設計したAFLアーキテクツ社の建築士で、かつてUEFA受賞のプロジェクトにも携わったリタ・オチョア氏に伺った。スタジアムが建つ地域の特性の違いは、どのようにスタジアムの設計に影響するのだろうか?
(聞き手・筑紫直樹、有川久志 編集・夏目幸明、中村洋太)
ポルトガル出身。AFLアーキテクツ(AFL Architects) シニア・アソシエイト・アーキテクト。大規模複合型スタジアムやアリーナなどのデザイン・設計を担当する欧州屈指のプロジェクト・アーキテクト。UEFA受賞のプロジェクトなど、多くのスポーツ施設の設計に参加している。現在は「ブレントフォード・コミュニティ・スタジアム」と「スウォンジー・デジタル・アリーナ」の設計プロジェクトを率いているほか、2022年FIFAワールドカップのメインスタジアムである「ルサイル・スタジアム」の設計でカタール政府のプロジェクトにも参加している。
サポーターの多様性を反映させたスタジアム
―「ブレントフォード・コミュニティ・スタジアム」の建設計画が始まった当初、ブレントフォードFCのサポーター会員たちがクラブを所有していたのですか?
リタ:そうなんです。クラブは通常、資金力を持つ投資家や企業がオーナーになるものですから、サポーター会員たちがクラブを所有するのはイングランドでも珍しいケースでした。
―新スタジアムを設計するうえで、どのような影響がありましたか?
リタ:サポーターたちは職業も年齢も様々で、価値観も多様です。だから私たちは、障害者や子供たちも含めて多くのサポーターたちとよく話し合い、彼らの文化や本質的価値を理解して設計する必要がありました。
―サポーターたちとのコミュニケーションを通して、どんなことがわかりましたか?
リタ:例えば、多くのサポーターはスタジアム入場前に近くの4軒のパブのどこかに行く習慣があること。家族サポーターは赤ちゃんが生まれても試合観戦を休まず、天候にかかわらず子供たちと一緒に観戦すること。みんなサッカーが大好きなのです(笑)。試合をより間近で体感するため、通常より高い入場料を払ってでも立見席で観戦したがるサポーターもいます。多くの学びがありましたね。
―サポーター一人ひとりのペルソナまで理解しながらデザインしていくのですね。
リタ:そうです。例えばスタジアム内のすべてのバーは、障害者の方でも楽しめるようバリアフリー設計にしました。また、彩り鮮やかな客席のデザインは、異なる価値観を持つサポーターたちが100年以上にもわたり豊かな地域コミュニティを形成してきたことを表現しています。
―新スタジアムに向かう観客の導線に関して気をつけた部分はありますか?
リタ:サポーターの多くは地元に住んでいるため、新スタジアムまで徒歩または南側に隣接するキュー・ブリッジ駅から来場するケースがほとんどです。アウェー・サポーターは、駅の東側の降車場から専用の橋を通ってスタジアムに入場できる設計にしました。センサリールーム※やファミリーシートも、利用者が容易に辿り着けるよう、駅から近い位置に配置しています。
※自閉スペクトラム症や感覚過敏の症状により、大観衆の人混みや大音量の歓声への対応に悩みを抱える人でも安心して観戦できるエリア。他のスタジアムのセンサリールームは子ども専用だが、ブレントフォード・コミュニティ・スタジアムのセンサリールームは、感覚過敏に苦しむ大人も利用できるという点で特別である。利用予約が入っていなければ通常のボックス席として使用可能。
敷地面積が限られているため、新スタジアムの駐車場は障害者専用としています。しかし、ロンドンの人々には車でスタジアムへ行く習慣がないので、駐車場がないことは問題にならないでしょう。一方で、駐輪場は340台分を整備します。ブレントフォードはロンドン屈指の自転車利用率を誇る地域だからです。
―最近は世界の各都市で自転車が重要な都市交通として位置づけられていますね。スタジアム建設は、そんな時代の流れも捉える必要があるのか、と感じます。
地域の特性や文化色が、スタジアムに反映される
―オチョアさんのご出身はポルトガルですが、ポルトガルとイングランドでは"スタジアム哲学"に違いはありますか?
リタ:本質の部分で大きな違いはありません。すべての観戦客はできるだけピッチに近い位置で試合を観戦し、スタジアムならではの臨場感を体験したいと考えているはずです。ただ、スタジアムが建つ地域に関連する相違点はあります。例えば、イングランドの気候はポルトガルに比べて随分異なるので、座席だけでなくコンコースを含め、雨や寒気から観客を守る設計が必要とされます。
逆にポルトガルでは、直射日光が強いため、ピッチへの散水はイングランドより多く必要です。また、直射日光を防ぐスタンドの日除けや、通気性の高いコンコースなども要求されます。これに加え、「地域性」のなかには目に見えにくいものも多く、これをスタジアムのデザインに反映させていくことが難しいのです。
―具体的には?
リタ:イングランドのサッカー観戦客の大半は男性ですが、ポルトガルでは多くの女性や子供たちもスタジアムに訪れます。試合観戦は家族で楽しむイベントだと考えられているからです。そのため、ポルトガルでは試合前のエンターテインメントをどう企画するかが大事になります。スタジアム内でお酒を飲む人の割合も両国で異なるので、結果としてスタジアム内のビール売り場の数にも違いが現れます。
―面白いです。文化の違いがスタジアムの設計に反映されるのですね。
リタ:ええ。そもそも「サッカークラブ」の概念と所有実態が両国では大きく異なり、この点もスタジアムのデザインに影響を与えています。イングランドでは13世紀頃にサッカーの原型が生まれ、現在もサッカー発祥の地であると主張しています。そして産業革命後、サッカーは爆発的な人気を博します。多くの工場に社員たちが結成したチームが生まれ、工場もスポンサーとなって後押ししたのです。
一方、ポルトガルでサッカーが広まったのは19世紀末のこと。ロンドンに留学していたポルトガル人学生たちが母国に持ち帰ったとされています。その時点では、ポルトガルではすでに多くのスポーツが流行っており、サッカーは比較的遅れて入ってきた競技でした。ポルトガルを代表するサッカークラブ「スポルティング・リスボン」が設立されたのも、1906年のこと。当時、テニスや陸上競技、ローン・ボウリング※、パーティー、ピクニックの普及も目的に設立されています。
※ボウリングの前身でもあるイギリス発祥のスポーツ。
―パーティーやピクニックまで!?
リタ:さすがに現在はピクニックの普及活動はしていませんが(笑)。しかしスポルティング・リスボンのホームスタジアムは、他のクラブ同様、多くの競技を開催できるよう、複合型多目的施設として建てられました。
―なるほど、スポーツの歴史がスタジアムの構造に影響を及ぼすのですね。
リタ:また、ポルトガルの多くのクラブではソシオ(会員)がクラブ全体またはその一部を所有しています。だから競技の種類にかかわらず、クラブの決定についてはソシオも意見を主張することができるのです。一方、イングランドでは対照的に、多くのスタジアムはサッカー専用、もしくはよくあってもラグビーとの兼用で、クラブを所有・運営するのは投資家や民間企業のオーナーであるケースがほとんどです。
―ポルトガルの話もぜひお聞かせください。オチョアさんはリスボン出身で、以前、故郷のスタジアムも設計されたそうですが、さぞ特別な体験だったのでは?
リタ:ええ、私が世界で一番好きな都市ですからね。しかもリスボンには、スポルティングやSLベンフィカのように、約100年前に設立されたビッグクラブがあります。幸運なことに私は、その両クラブと仕事することができました。
きっかけは、EURO2004(2004年のUEFA欧州選手権)がポルトガルで開催されることになったことです。当時、ポルトガルサッカー連盟は、EURO2004に向けて、10ヶ所のスタジアムを新設または改修することを決めました。
はじめ、私はベンフィカの本拠地「エスタディオ・ダ・ルス」の改修案を用意した設計チームに所属していたのですが、結果的にエスタディオ・ダ・ルスは改修ではなく、まったく新しいスタジアムに建て替えられることになりました。そのため、私の主な仕事はスポルティング・リスボンの本拠地「エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ」の新設に変わったのです。
―個人的にも素晴らしい体験だったのでは?
リタ:もちろんです。約5万人収容の緑の屋根が美しい新スタジアムは、リスボン中心部にある旧スタジアムの隣に建っています。私は設計チームの主任として新スタジアムのデザイン業務に携わりました。スタジアムをデザインする仕事への情熱はその時に生まれたと言っても過言ではありません。
―余談ですが、オチョアさんご自身はどのクラブを応援しているのですか?
リタ:秘密です(笑)。しかし何年もかけて設計したスタジアムが開場し、杮落としが超満員の観客で埋まったときの感動は一生忘れないでしょう。幸運なことに、私はそのような経験を何度かさせていただきました。自分が応援しているクラブかどうかにかかわらず、ファンやサポーターの方々の喜ぶ姿を見ることが、何よりの幸せなのです。
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