(取材と文、写真・筑紫直樹)
「平和の翼」と街の在り方
開場後、11:45から始まったウェルカムプレショーでは、伝統芸能である広島あきたかた神楽やダンスパフォーマンスが来場客を盛り上げていましたが、その際に3階の周回コンコースで取材していた筆者は、スタジアム南側に移動するにつれ、会場MCの枡田絵理奈さんの声が聞き辛くなっていくことに気付きました。その後、ガンバ大阪サポーターたちが集まる北側コンコースに行ってみると、今度はMCや登壇者の声がはっきりと聞こえました。南西の角のDゲート付近で会った他県のスタジアム関係者も「MCの声が聞き取りづらい」と話していたため、これはスピーカーの音量云々が理由ではなく、南スタンド両脇のオープンスペースから音が外に漏れ抜けているのと同時に、「街の音」も角からスタンドに流れ込み、MCの声を聞き辛くししているのではと考えました。
記者席に移動し、記念試合が始まると、北スタンド側のガンバサポーターの重厚な声援に比べ、その倍以上の人数のサンフレッチェサポーターがいるはずの南スタンドから発せられる声援は、音の塊としてメインやバックスタンドに伝わらずに早いスピードで飛散しているように聞こえました。そこで、南スタンド付近の角まで行ってみると、近くで聞く分にはサンフレッチェサポーターの声援は非常に迫力があるものでした。同時に、スタジアム外の雰囲気を確かめに行った空間設計の専門家である知人は、「スタジアムの外に音が大きく漏れているので、外の人が「おっ、なんだろう」と中のイベントに興味を示すのではないか」と好意的に評価していました。
実は、この「翼の脇」のスペースから音漏れする状況というのは、コンセプトの段階からポジティブな訴求効果のひとつとして提示されていたものです。ボウル内の盛り上がりを外(つまり街)に届けることで、スタジアム内のイベントや試合に対する関心を喚起する意図があったわけです。
また、他にも、角部分の「抜け」を通じ、広島の市街地とのつながりを内外で視覚的に確立できる一体感の醸成や、ピッチの芝の養生のための採光など、屋根デザインの背景には様々な理由があります。このあたりは、グッズショップで販売されているクラブのオフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』2024年3月号に収録されている『エディオンピースウイング広島 設計情熱物語』でも詳しく説明されていますので、ご興味がある方はぜひ読まれてみてください。
試合後に一部のサンフレッチェサポーターらしきSNSユーザーが、ホームゴール裏の南スタンドに座っていたサポーターがおとなしかったとしたうえで、「ゴール裏は、立って飛び跳ねて腹から声出して応援する所なので、座って応援したければバックスタンドに行ってほしい。広島サポより圧倒的にガンバサポの方が声出てたし迫力あった」といった内容のコメントを投稿し、それに対して他のサポーターが「どこでどんな観戦しようが、その席を買って見てる人の自由」と反論する一幕がありました。
ゴール裏がどういう場所であるべきかという概念(べき論)については、それこそ多種多様な捉え方があるため、ここで敢えて個人の考えについて言及するつもりはありませんが、投稿の後半部分の「ガンバサポの応援の方が迫力があった」という部分については、上述のように確かに筆者も同意する部分があり、その理由のひとつに、南スタンド両脇の抜けスペースが挙げられるかもしれません。
当然、次のような、この日だけの特殊な事情があったことは考慮しなくてはなりません。
① 普段はゴール裏で観戦しないが、熾烈なチケット争奪戦の結果、とにかくどこでもいいから余っている座席を確保したらゴール裏だったという来場客が一定数いたと想定されること
② 記念すべき杮落しの試合ということで、通常のリーグ戦のような真剣試合と比べ、より牧歌的な空気がスタジアム全体を支配していた可能性
ただ、②に関しては、アウェー側にも当てはまるわけで、ガンバサポーターだけが真剣でサンフレッチェサポーターが元気がなかったのかというと、そういうことではなかったと思っています。前述のとおり、近くまで行けば、人数が多いサンフレッチェサポーターのゴール裏の音や応援はとても迫力あるものでしたが、コンコース中央部分や記者席から聞くかぎりは、塊としての音の厚さがそこまで感じられませんでした。
対して、アウェー側の屋根はホーム側よりも低く(音が壁や屋根に当たって反響するまでの距離=時間が短い)、さらに両角には南側のような抜けるスペースがないため、音が響きやすかった=つまりすぐにフェードアウトせずにメインスタンド(西)およびバックスタンド(東)を経由し、南スタンドまで届きやすかったものと考えられます。ですので、応援の音質や聞こえ方のについては、エディオンピースウイング広島の特殊な形状ならではのもので、杮落しの記念試合だけで「ゴール裏の熱量が足りていないのでは」という批判はやや早計な気もします。
また、エディオンピースウイング広島の翼は、広島の新たなランドマークとして、そして「平和の翼」の象徴として、街の風景に溶け込んでいます。まさに設計の意図通りに完成しているのです。SNS上では、金沢の新スタジアムのように「ホームゴール裏はコアサポのための立見席にすべきだった」という声(べき論)も散見されますが、このスタジアムは、そのようなスタンドではなく、女性や家族連れも安心してサッカー観戦やスタジアム体験ができ、さらに市街と繋がる象徴的な場所を追求し、その結果として今のスタジアムのかたちが採用されているのです。
街や地域によって、スタジアムの姿や、その在り方は千差万別です。エディオンピースウイング広島が、角を埋めて音を逃がすまいとするイングランドのプレミアリーグや欧州のスタジアムではなく、様々な楽しみ方で常に満員であることを目指し、米MLSや野球のボールパークを参考にしたことは、これまでの関係者のインタビュー等でも明かされています。多種多様な応援の仕方、そして多種多様なスタジアムの在り方も、受け入れられる観戦文化の醸成を切に願います。
コンコースで感じたこと
さて、スタジアムといえばスタンドや屋根だけでなく、コンコースでの体験も重要です。エディオンピースウイング広島は、屋外も屋内もコンコースが広いため、安心して回遊することができます。圧迫感や閉塞感を感じないコンコースは快適な空間になります。様々な観戦スタイルができるように、豊富な席種が用意されていることも来場客にとっては嬉しいことです。
そのうえで今回気になったのは、特に3階コンコースの男子専用トイレの混雑具合です。3階コンコースの案内図を見渡してみると、メインスタンドには中央に近い部分に2か所、バックスタンドは1か所の男子トイレがありますが、ホームゴール裏(南)スタンドは男女共用トイレはあるものの、男子専用はありません。アウェー側の北スタンドにかぎってはトイレそのものがありません。
そのため、メインだけでなく、南北ゴール裏スタンドの西側の観客もメイン中央部分のトイレ2か所を目指すことになり、ハーフタイムにはメイン中央部に非常に長い列ができました。あまりにも長くなり、飲食店の行列を合流しそうになった時間帯もあったほどです。結局、ハーフタイムが終わって後半が開始しても、メインのトイレの行列は解消されませんでした。男子トイレが1か所しかないバックスタンド3階は、さらに長い列になったのではないかと邪推してしまいます。誘導スタッフをコンコースの角に配置するだけでなく、来場客の方でもハーフタイムに一斉大挙することのデメリットを考慮し、意識的に少しタイミングをずらすと混雑を避けやすいかもしれませんが、こればっかりは生理現象なので難しいところもありますね。
また、飲食店の列は、お店の販売スタッフが列をうまく誘導してくれますが、トイレの列を誘導するスタッフは見つからず、筆者も5人ほどキョロキョロしていた男性客を誘導しました。なぜキョロキョロしているかというと、トイレが何処かわからないからです。もちろん、トイレの場所を示す施設案内や表示は客席側の柱や売店側の壁に設置されているのですが、ほとんどが立って歩く来場客の目線の高さに設置されているため、ハーフタイムなどの混雑時は、その視認性が大幅に低減します。大多数の他人に囲まれ、自分の目線の高さで探しているものが見つからない時、人は往々にして視界に障害物がない空間、つまりコンコースの場合は前方の頭上を見ます。現在の表示を残したまま、天井や壁、柱の高い位置に誘導サインや案内板を追加で設置するのも一計かもしれません。
一極集中の時間帯の混雑というのは、当然飲食売店も同様で、今後、モバイルオーダー等で商品受け取りの時間帯指定を導入する方法もあるかもしれませんが、受け取り時間がハーフタイムなどに集中してしまえば、今度は受け取りの行列ができてしまうので、やはり来場客側もタイミングをずらすことが一番ストレスがない方法かもしれませんね。ただ、これらの事象を確認できるということも、杮落しのような大規模テストイベントのメリットのひとつであり、指定管理者であるクラブも今回の経験と発見に基づき、さらに充実した対策を練ることができます。
余談ですが筆者は今回、アジアン麺のぼっかけ麺とドイツ伝統料理をイメージしたソーカレーを購入。両店舗とも方ともとても美味しかったです。エディオンピースウイング広島の「世界中のグルメを食べつくせ!」というテーマのスタグルは、商品のバラエティに富んでいるため、リピーターにとっても飽きにくいと好企画だと思いました。
長々とレポートしてしまいましたが、やはり当サイトの杮落し特集といえば、最後はスタジアムグッズ、それも杮落としグッズをご紹介せねばなりません。今回は、特にスタジアムにフォーカスを置いた商品という意味で、スタジアムのクリアファイル、フェイスタオル、エコバッグを購入しましたが、やはりイチオシは真ん中のクラブオフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』。スタジアム関連記事で埋め尽くされており、もはやエディオンピースウイング広島の公式スタジアムガイドと呼べそうな勢いのスタジアム愛溢れる珠玉の一冊となっております。スタジアム模型が売っていればさらに嬉しかったのですが、クラブは旧エディスタの模型を、昨シーズンのシーズンチケット特典で製作した経緯があるので、いずれ然るべきタイミングで私たちの前に現れることでしょう。 シンジテルヒロシマ...
広島の新しい物語
総括すると、エディオンピースウイング広島は、長い苦節の時を経て、広島が辿り着いて答えを実現した日本屈指のサッカースタジアムでした。筆者自身、10年近く関係者への取材などを通じ、広島にサッカースタジアムができることを待ち望んでいたので、今後は広島の「スタジアム開業後」の新たな歴史が始まることの意義の大きさを現場では処理できず、これまでに体験したのことない感覚に戸惑いつつ、杮落し当日はとにかくコンコースと場外を走り回っていました。それで筋肉がほぐれたのか、朝あった頭痛はいつの間にか消えていました。コンコース内にはランニングコースの表示があるので、これもスタジアムの健康増進効果のひとつでしょう。
あれだけ長い間の広島にとって悲願であったスタジアムが、今、現実に完成してそこに存在している事実を何とか頭で理解しようと努力しても、まだもう少し時間がかかるかもしれません。筆者でさえこのような感覚なのですから、当事者たる関係者や広島市民・県民の皆様にとっては、さらに感慨深いものがあることでしょう。
エディオンピースウイング広島から、広島のサッカーの新たな歴史が始まり、その歩みは未来へと紡がれていくことでしょう。そしてあの日、私たちは、たしかにその分岐点に立っていたのです。
<了>
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