俺たちの「魂」を取り戻せ!チェコの地方スタジアムと、愛すべきダメ男たち――名作映画『STADION』制作秘話(後編)
俺たちの「魂」を取り戻せ!チェコの地方スタジアムと、愛すべきダメ男たち――名作映画『STADION』制作秘話(後編)

俺たちの「魂」を取り戻せ!チェコの地方スタジアムと、愛すべきダメ男たち――名作映画『STADION』制作秘話(後編)

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2018年に公開されたチェコの映画『STADION』。

飲んだくれのサポーターたちが「レジェンド選手の引退試合をここで!」と、長く地元・ブルノ市で愛された「ザ・ルジャンカミ・スタジアム」の修復を始めるドキュメンタリーだ。

スタジアムだけでなく人間や社会の再生を描いた問題作、監督・関係者のインタビュー第2回は、映像の背後に見える欧州のサッカー事情について詳しく聞いた。
(聞き手・有川久志 筑紫直樹 編集・夏目幸明)

インタビューの前編はこちらから

引退試合でのペトル選手とファン
引退試合でのペトル選手とファン

HCコメタ、そしてスパルタへの"ライバル視"

―映画では、サポーターたちが必死で修復した「ザ・ルジャンカミ・スタジアム(以下、ルジャンキ)」で、レジェンド選手であるペトル・シュヴァンカラ氏の引退試合が開催されます。
あの時、ペトル氏は最初に青白ユニのチームでプレーし、途中からFCズブロヨフカ・ブルノ(以下、FCズブロヨフカ)の赤白ユニでプレーしていましたよね? 引退試合ではよく、主役の選手が前半と後半を別のチームでプレーしますが、あの青白のチームはペトル選手が以前所属していたチームなのですか?

マレク:青と白は、ブルノ市を代表するもう一つのスポーツクラブで、劇中でも名前の挙がるアイスホッケーチーム、HCコメタ・ブルノ(以下、HCコメタ)のクラブカラーです。

ただし、元の本拠地であるルジャンキを修復したFCズブロヨフカのサポーターとしては、HCコメタ・ブルノというアイスホッケーチームのほうが目立ってしまう事態は好ましくない、という事情がありました。

―たしかに劇中でも、FCズブロヨフカのサポーターが、HCコメタのビッグフラッグが大きく掲げられることを懸念する姿がありました。

マレク:ブルノ市民もほかの街同様、どの競技であっても自分の街のチームを応援します。そして、HCコメタはチェコスロバキア時代を含めると、チェコで最も優勝回数の多いアイスホッケーチームなのです。だからFCズブロヨフカのサポーターの多くはHCコメタを応援してはいるものの、サポーターの一部はHCコメタに対してちょっと複雑なライバル心も持っているのです。

もちろんサポーター間で問題があるわけでもなく、私たちは同じ街の仲間として親しくしていて、劇中にもHCコメタ・ブルノのサポーターがルジャンキの修復作業を手伝いに来るシーンがあります。

しかし、今回のルジャンキ修復プロジェクトはサッカーファンが始めたものなので、FCズブロヨフカサポーターとしては、HCコメタというアイスホッケーチームが、ルジャンキで開催される引退試合で目立つ事態は好ましく思えなかったんです。

―よくわかりました。

マレク:HCコメタは多くの成功を収めており、サイズが大きい旗やバナーなどの応援アイテムも持っています。そしてマッチデー(ペトル・シュヴァンカラ氏の引退試合)にビッグフラッグなどを持ってきて思うがままにスタンドに設置し始めたので、私たちとしても「ちょっとそれは大きすぎるんじゃないかな。これは一応、サッカーのイベントなんだけど」となったのです。最終的には、両サイドともお互いの言い分を理解して、仲良くイベントを楽しみましたよ。

トマーシュ:もう一点、皆さんに理解していただきたいのは、マッチデーにHCコメタ・ブルノのビッグフラッグを掲出したのは、実はプロによるマーケティング活動、営利事業だったのです。FCズブロヨフカのサポーターやボランティアの皆さんが気に入らなかったのはその点です。

―引退試合で赤白ユニを着ていたのはFCズブロヨフカの選手だとして、HCコメタの青白ユニを着て試合に出ていたのはアイスホッケーの選手なのですか?

マレク:いえ、両チームともいろんな経歴の人が出場していて、元サッカー選手、元アイスホッケー選手、現役サッカー選手、現役アイスホッケー選手、ブルノ市長、有名俳優など、ブルノの仲間たち同士で試合したようなものです。

―ライバルと言えば、劇中ではACスパルタ・プラハとのライバル関係が強調されていますね。

マレク:はい。私たちのFCズブロヨフカにとって、スパルタは最大のライバルなんです。ただし、スパルタに関わる人に「FCズブロヨフカが最大のライバルか?」と訊ねたら、おそらく「違う」と言うでしょうが。

一同:笑

トマーシュ:典型的な『地方vs首都』の構図です。ACスパルタ・プラハはチェコの首都のビッグクラブで、地方都市のクラブのサポーターから憎まれている存在です。

さらに言えば、ブルノ市はチェコ国内でプラハ市に次ぐ第二の都市。だからブルノ市民はプラハに対する嫉妬も持っています。

マレク:もちろん私たちもアンチ・スパルタです(笑)。

スパルタ戦を観戦するマレク氏
スパルタ戦を観戦するマレク氏

―劇中でも少し映っていましたが、同じプラハのクラブでも、SKスラヴィア・プラハとはライバル関係ではないんですね。

マレク:ええ。スラヴィアは「まだマシ」です。

―スロヴァン・リベレツやヴィクトリア・プルゼニといった、チェコリーグを代表するほかのクラブはどうですか。

マレク:リベレツサポであれば2杯くらいは一緒にビールを飲めます。プルゼニサポとはもっと沢山飲めます。あと、(チェコ東部の)モラヴィアのクラブのサポとも、なんとか一緒に飲めますね。

ただ、同じモラヴィアでもFCバニーク・オストラヴァはちょっと毛色が違うのでそういうわけにはいきません。

―な、なるほど。

トマーシュ:私が初めてFCズブロヨフカのサポーターたちが集まるパブに行ったら、入口にスパルタのマフラーが敷いてありました。パブに入るときは、このマフラーを踏んで入店するのが流儀なんですよ。

ルジャンキの荒廃は東欧社会荒廃の象徴

―スタジアムや映画に関する「お金」の話も伺わせてください。お二人から「ミスター・ビットコイン」と呼ばれるルカシュさんは、どんなきっかけでこの映画のプロデューサーになり、なぜ資金を提供したのですか?

ルカシュ: きっかけは製作側から送られてきた企画書を見て本当に素晴らしいと思ったからです。私は90年代からFCズブロヨフカの大ファンで、ほとんどの試合をスタジアムで観戦しています。ルジャンキを振り返るたびに、5万人近くが集まるあの素晴らしい光景を頭に思い浮かべることができます......というより体が覚えています。

そして、マレクにこの映画の初期バージョンの映像を見せられた時、もっと多くの人に見てもらいたい、と考えたのです。

トマーシュ:当初、私はプロデューサーなしで、資金の見通しもたてず製作を始めました。公的な交付金の申請も考えていたのですが、事情が許さなかったのです。

ドキュメンタリーが企画段階なら公的な交付金の対象になるのですが、すでに撮影を開始したプロジェクトは対象外。さらに交付金の申請には時間がかかるのですが、スタジアムの修復プロジェクトは既に始まろうとしていました。

そこで私は見切り発車で撮影を始めたのです。ちなみに、あとでテレビ局に交渉に行った時も「企画や撮影素材は素晴らしい。しかしプロジェクトが始動してしまった今、製作の途中から参加することはできない」と断られてしまいました。今思えば、おかしな話ですよね。

マレク:すると撮影後、編集などのポストプロダクション作業のための資金がなくなってしまいました。そこで私はトマーシュが編集したラフカットの映像を持ってスポンサー探しに奔走したのですが「内容が過激すぎる」などと誰も名乗り出てくれません。ここでミスター・ビットコインのルカシュが登場するわけです(笑)。

ルカシュ:実はこの頃『STADION』はメキシコの映画祭に招待されていました。そこで私はすぐ資金の投入を決め、ビットコインで航空券を買って彼らとともにメキシコへ行ったんです。素晴らしい体験でしたね。

映画を観たメキシコの観客が口々に絶賛し、興奮するのを間近で見て、私は日本、ドイツ、スイス、ウクライナ、ポーランド、ブラジルなど、世界中で上映すべきだと思うようになったんです。

―現在、日本で上映やソフト化に興味を持っている配給会社はありますか。

マレク:まだ、どなたとも話していませんが、もちろん交渉に応じますよ!

ルカシュ:世界のどこにでも行きます! あ、あともう一つ、私が投入したのは「資金」ではなく「ビットコイン」ですからね(笑)――。

―劇中で「ここがショッピングモールや住居にならないように」というセリフがありましたが、皆さんはこの後、ルジャンキをどうしたいとお考えですか。現在のルジャンキを取り壊し、同じ場所に最新のスタジアムを建てるのか、それとも現在のルジャンキを改修して使い続けるのでしょうか。

マレク:もしお金があれば、まずは私とルカシュでクラブを買収したいですね(笑)。

ルカシュ:そう、ビットコインで買いましょう! あれ? なぜみんな笑っているんですか? 私は本気ですよ(笑)。

マレク:そう、本気です。ルジャンキのプロジェクトはそれから始めるでしょうね。

―では皆さん、クラブ買収後にもっと資金があったら、新スタジアムを建てますか、それとも現在のルジャンキを改修しますか?

マレク:市の許可を得るために、建前上は「改修」のかたちをとるでしょうが、実質的には同じ場所に新スタジアムを建てることになるでしょう。残念ながら今のルジャンキは、21世紀のプロサッカー興行にふさわしいスタジアムではありません。

ただし、一部の諸室やファサードなど、旧ルジャンキを思い出すことができるものは残したいですね。

トマーシュ:マレクがさっき話したように、ブルノの人々はルジャンキを心から愛しています。スタジアムと場所のどちらを一番愛しているかはわかりませんが、あの場所が大事なのは間違いありません。

ただ、ファンやサポーターが改修や新スタジアムについて深く理解しているわけではないと思います。新スタジアムと言っても、それぞれ、完全に新設されたものになるのか、若干改修されたものなのか、別のイメージを持っていると思います。

―新たな方向性が決まるまでFCズブロヨフカは、現在の本拠地、スタディオン・スルブスカ(以下、スルブスカ)でプレーし続けるということですね?

マレク:はい。現時点でプロサッカーの試合を開催できるのは、ブルノ市内でスルブスカだけです。ただ、遠くない将来、(1949年設立の)スルブスカも改修を必要とする時期が来ます。その時、我々は大きな問題を抱えることになります。

ここを考えると、ルジャンキ再生プロジェクトの早期再開を実現することが必要不可欠です。もし5~10年後、スルブスカの大規模改修が必要になった時、ブルノ市内に代替ホームがなければ、クラブの命運が尽きる可能性もあります。

トマーシュ:もう一点重要なことは、ヨーロッパの他の国々の人々も、私たちと似た問題を抱えていることです。一連の問題は、1989年のビロード革命(チェコの民主化)や90年代のソビエト連邦解体といった社会変革の余波を受けているかもしれません。

それまで社会主義だった国々の国有企業や公的機関が急速に半官半民化もしくは民営化され統治体制が再構築される中、密輸や不適切な契約が横行しました。

その結果、旧社会主義国の美しいスタジアムや建築物の多くが誰も利用しない廃墟のように放置されています。つまり、私たちが今直面しているのは、ここ30年間にわたって東欧の国々で続いてきた、意識の低さと明確な政策の欠如が招いた問題でもあったのです。

思い出、コミュニティ、そして心

―ペトル・シュヴァンカラ氏の引退試合の入場者数はどれくらいだったのですか?

マレク:警察は航空写真を見て約35,000人と推定していました。通常のズブロヨフカのリーグ戦の観客動員数の7、8倍の人が来場した計算になります。

会場に訪れた観客
会場に訪れた観客

トマーシュ:非公式の記念試合ではあったものの、これは21世紀のチェコ共和国における最多観客動員数記録です。

マレク:ちなみに革命後のチェコスロバキア時代(1990年代)の最多観客動員数も、すべてルジャンキで記録されたものなんですよ。

―FCズブロヨフカ、特に高い人気を誇っているのですね。

ルカシュ:90年代のチェコリーグでは、毎週8試合が開催されましたが、ルジャンキでのズブロヨフカのホーム戦には55,000人も集まって、残りの7会場の合計動員数が25,000人くらいだったこともありました。素晴らしい時代でしたね。

―ただ、記念試合ではチケットを持っていたにも関わらず入場できなかった方も多くいたようですが、警察が入場規制をしていたのですか。

マレク:実は試合前の警察との協議では、入場口以外は閉鎖して、ちゃんと入場客の流れや人数を把握しながら観客を誘導してくれと要請していたのです。しかし開場直後に多くの来場客がなだれ込み、しかも警察が入場口以外のゲートを閉鎖していなかったので、あっという間に統制できなくなってしまいました。

スタジアムの安全面の観点から、当日の施設運営は警察の管轄で、私たちプロジェクトチームは入場についての決定権はありませんでした。しかし、あれだけ時間をかけて適切に観客を誘導するという話し合いをして、間違いが起こらないように準備したはずなのに、試合のキックオフ前にすべてがめちゃくちゃになってしまったんですね(苦笑)。

トマーシュ:警察もあそこまで多くの人が集まるとは予期していなかったようで、事態に驚いた警察署長が急いで周辺地域の各方面隊に、ブルノへの増援隊派遣を要請していました。

マレク: 90年代は毎週、当然のこととして試合が開催されていたのですが、その後、ルジャンキでは14年間もイベントが開催されず、事実上、試合開催が新しい取り組みになってしまっていたんです。ルジャンキ周辺エリアでイベントを開催する際には、どういった点に注意しなければいけないかを憶えている人がいなかったのです。そういう意味では、空白の14年の重さを感じました。

―伝統って一度途切れてしまうと、それをもう一度取り戻すのは大変だったりしますよね。そんな意味でも、一度、ルジャンキで試合を開催できたことは、様々な問題がありつつも大きな意義があったのかな、と思います。
では最後に、皆さんにとって<スタジアム>とはどんな意味を持つ場所ですか?

ルカシュ:私にとってのスタジアムは思い出、コミュニティ、そして心です。いつかルジャンキにサッカーが戻ってきてほしいと願っています。 ルジャンキは、サッカーファンやブルノの人々の心そのもの。街にとって大事な文化施設でもあります。

また、今から80年前、私の祖父はFCズブロヨフカの選手でしたから、私にとってスタジアムは家族や歴史でもあるのです。

マレク:実は私はグラウンドホッパー(スタジアム巡りが好きな人)でもあるので、世界中のスタジアムを訪ねることが趣味なのです。これはもうライフスタイルですね。

トマーシュ:私は映画を製作していくうち、スタジアムが特別な場所だと理解しました。ただ単にスポーツをしたり、試合を見せたりするだけではなく、人々が集まって会話する大事な場所でもあるのです。

そこで私は、この映画の題名を『STADION(スタジアム)』にしました。なかでもルジャンキは、私の子供時代の思い出がいっぱい詰まった、世界で最も好きなスタジアムのひとつです。

マレク:日本に滞在している短期間で、この国のフットボールのファンがどれほど情熱を傾けているかを知り、同時に、私たちの作品を熱く賞賛してくれていることも知りました。そして、世界中のスタジアムの問題は日本でも同様なのだとの知りました。

私たちが伝えたいことがあるとしたならば......物事がうまくいかないように見えても、あきらめないで夢を追いかければ、最後は思いが叶います! ということです。さらに、私たちが得た多大な支援と、素晴らしいおもてなしに対し、出会ったすべての人に感謝したいと思います。

―熱いメッセージをありがとうございました。私も、FCズブロヨフカとサポーターの皆様が、近い将来にルジャンキに戻ってこれるよう祈っています――。

横浜フットボール映画祭での上映後に記念撮影
横浜フットボール映画祭での上映後に記念撮影

映画『STADION』

◆あらすじ◆
長年地元のサポーターに親しまれてきたザ・ルジャンカミ・スタジアム。しかし、ホームクラブが別のスタジアムに引っ越した後はスタンドに木が生えるほどの荒れ放題に。レジェンド選手の引退試合で、かつての賑わいを再現させたいとサポーターが集まって修復工事をスタートさせた。

◆予告編◆

◆上映予定◆
現在、2020年4月に東京都内で上映を企画中です。詳細が決まり次第、以下のTwitterアカウントにて告知されますので、ぜひフォローしてください。
ヨコハマ・フットボール映画祭 公式アカウント

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