【後編】映画『ザ・ビッグハウス』想田和弘監督インタビュー ~スタジアムは現代の「大聖堂」なのかもしれない~
【後編】映画『ザ・ビッグハウス』想田和弘監督インタビュー ~スタジアムは現代の「大聖堂」なのかもしれない~

【後編】映画『ザ・ビッグハウス』想田和弘監督インタビュー ~スタジアムは現代の「大聖堂」なのかもしれない~

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米国のミシガン大学が所有する巨大スタジアム「ザ・ビッグハウス」。その場で働くスタッフや、観客や、その周辺の人々を観察するうち「スタジアムとは」「米国とは」さらには「人間とは」といったテーマが浮かび上がってくる......それがドキュメンタリー映画『ザ・ビッグハウス』だ。

この作品の想田和弘 監督のインタビュー、後編は「スタジアムとは何か?」「人間とは何か?」という部分まで掘り下げていった。
(聞き手・有川久志、筑紫直樹 編集・夏目幸明)

インタビューの前編はこちらから

想田和弘 監督
1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒。93年からニューヨーク在住。映画作家。台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。
ホームページ:https://www.kazuhirosoda.com/

映画『ザ・ビッグハウス』
全米最大のアメフト・スタジアムを舞台に描かれるアメリカ合衆国の光と影ーー「観察映画」史上最高のスペクタクル!
ホームページ:http://www.thebighouse-movie.com/
劇場情報:渋谷 シアター・イメージフォーラム、大阪 第七藝術劇場にて公開中、ほか全国順次公開

撮影中の想田監督
撮影中の想田監督 (Photo:Terri Sarris)

生きていくためには「スタジアム」が必要だった!?

―前半では「スタジアムが一体感を共有する装置だ」という部分までお聞かせいただきました。後半では、それが人類の文化のなかでどう位置づけられるべきか、という話にも踏み込ませて下さい。

想田:おっ、そこに行きますか。「スタジアム」という「人間の集う場所」が存在する理由は、人間という生き物の基本的な欲求に根ざしているのだと思います。というのも、人間は社会的な動物だから、自分一人では生きていけないわけですよね。だから、何らかの集団に自分を帰属させることが必要になる。小さいものでは家族、会社、学校、フットボールチームという単位で、それが大きくなると、地域社会、さらには国家になっていく。その帰属意識を物理的、生理的に確認する場がお祭りであったり、演劇であったり、コンサートであったり、映画館であったり、スタジアムだったりするわけです。しかし、決してこれは「スタジアムは怖い」「熱狂は怖い」というわけじゃないんですよ。何でもそうですが、パワーがあるものは"取扱注意の危険物"なんですよね。

―なるほど。

想田:実はドキュメンタリーもそうなんです。パワーがあるがゆえに、被写体を傷つけてしまうなど、諸刃の剣になる。僕は普段「ドキュメンタリーはよく切れるナイフのようなものだ」と言っています。うまく使えば役に立つけれども、人を殺すこともできる、と。同じことがスタジアムにも言えます。スタジアムは共同体にとって必要なもので、人間にとって欠かせない場なんだけれども、それがゆえに強大なパワーを発揮する。そして、パワーは政治的にも利用できてしまうんです。だから......現代の生活のなかでスポーツ観戦の比重が大きくなるほど、本当は気を付けなくてはならないものなんですよね。これに加え、さらにもうひとつ、怖い部分があるんですよ。

―というと?

想田:『ザ・ビッグハウス』でたまたま撮れた映像に、象徴的なものがあるんです。トランプの宣伝カーがスタジアムのすぐ外を通り過ぎているのに、みんな試合に夢中になっていて気付かないんですよ。

―あ、象徴的ですね。

想田:撮影の時、大統領選は佳境を迎えていて、アメリカの、あるいは地球規模の運命を左右する選挙が数日後に控えていたわけです。なのに、みんなゲームに夢中で、スタジアムの外で起きていることに注意を払っていないんですね。そんな中、実際に重大な事態が進行してしまう。フットボールに熱中することはいいんですが、その一方で大事なことが見逃されていく。まさに古代ローマ時代の詩人による警句「パンとサーカス」そのまんまです。

人はスタジアムに、共同体のアイデンティティを求める?

―では、さらに想田監督の「スタジアム論」を伺いたいのですが......。映画を撮る前と、撮り終えた今で、「スタジアム」に対しての感覚が変わった部分がありますか?

想田:撮影前は、スタジアムは「スポーツの試合を観戦する場所」なんだとなんとなく思っていました。今はそこに「人類学的な意味がある」と感じてます。

―イングランドやスコットランドでは実際に、スタジアムを街の「Cathedrals」......大聖堂と呼ぶことがあります。サッカーが宗教的な色彩を帯びているのかもしれません。

想田:面白いですね。ちなみにミシガンでは「shrine(神社)」と呼ぶことがありますよ。みんな、shrineなんだ、religion(宗教)なんだ、と言うんです。Shrineは通常、神社と訳されますが、僕は「聖地」とか「神殿」と訳しています。昔は宗教とその祝祭によって、コミュニティーが維持されてきました。しかしこれらの伝統が弱体化した現代社会では、スポーツ観戦が共同体をまとめる宗教で、スタジアムが神殿になる形で、その代わりを果たしている気がしてならないんですよね。

―思えば不思議ですよね。誰かがゴールを決めても、本来、観客の人生とは関係ない。しかも、情報としては中継で観ることだってできる。なのに、スタジアムに行くわけですからね。これは「神殿に行く」行為に近いかもしれません。

想田:だから、米国でスポーツビジネスやスタジアムが巨大化していることは、非常によく理解できるんです。米国には伝統社会がない。いや、ないと言うと語弊がありますね。白人が入植してきて、ネイティブアメリカンの伝統社会を破壊してできた国です。だから、現代の米国人には、新たな祝祭と神殿が必要だったわけです。それがスポーツビジネスになっているんじゃないかと。

―なるほど。実は豪州でも、週末の観客動員数が圧倒的に多いのは、オールトラリアンフットボール、いわゆる「オージーボール」と呼ばれる豪州発祥の競技なんです。彼らもまた、歴史が浅い国だから、アイデンティティを生み出すしかなかったんでしょうね。他の国と比較したとき、自分たちのルーツがなかなか実感できない。でもオージーボールは自分たちの文化で、自分たちみんなが帰属できるんです。人はスタジアムに、共同体のアイデンティティ、ときにはナショナルアイデンティティを求めるんでしょうね。だから、時によっては政治色も強くなるんでしょう。

国歌斉唱の一体感は凄まじい
国歌斉唱の一体感は凄まじい
(©2018 Regents of the University of Michigan)

スタジアムは人々の思いのアンプリファイア?

―そういえば、映画のなかで、大学のスタジアムなのにあれほど政治色が強いことに驚きました。これをよく大学が許しているなぁ、とも。

想田:ミシガン大学はめちゃくちゃリベラルですから。とはいえ、軍にはまったく批判的じゃない。日本のリベラル派は、軍事的な勢力とは距離を置きがちですよね。しかし米国の場合はリベラルも保守派も軍とは非常に仲がいいんです。軍は必要だ、という国民的なコンセンサスがあるんです。なぜなら、それが国の存立基盤だから。

―なるほど。

想田:戦争によってつくられた国だから、軍に関しては、共和党も民主党もなく「支持」なんです。初代大統領も軍人だし、大統領選挙の時も、候補者が軍の経歴を持っているかどうかは必ず注目され、ない人は叩かれる。軍歴がないことが、攻撃の材料になってしまうんです。トランプは徴兵忌避疑惑のために批判されていますし、ヒラリーは軍歴がないから、タカ派色が強い主張をすることで、これを埋め合わせしようとした。軍を批判することは、恐らく、米国社会最大のタブーのひとつです。『ザ・ビッグハウス』でも軍とアメフトの深い関係に注目した。

―それが前編でおっしゃっていた観察映画の面白さですよね。普段、当たり前のことが当たり前でなくなっていく。

想田:とはいえ、そういう視点は映画を一緒に作ったアメリカ人学生たちには持ちにくいようでした。例えば、試合の合間に女性の軍人が顕彰されるシーンありましたよね。あれも、誰も違和感を覚えなくて、これが特殊なことだという視点は希薄だった。制作チームの中で唯一アメリカ人でない僕だけが、そういう視点を強く持っていて、編集に反映されている。これはたぶん、日本人が天皇制を意識していないことと同じだと感じます。

よく考えると、東京のど真ん中にあんなに大きな皇居があるのって相当に特殊な現象だと思いますけど、日本人はそんなこと意識しないでしょ。少し余談ですが、国歌はその国の無意識を映し出すんだと思うんですよね。「君が代」は、天皇の御代が苔が生えるまで永続しまうように、という歌詞です。米国国歌は「あんなに砲撃を受けたのにまだ星条旗は立っている、俺たちは強い、という歌詞です。いわば国のエートスが国歌の中に編み込まれている。国民はこれを毎度毎度歌うことで確認するんですよね、もちろん、善悪は別として。

―思えば、日本のスポーツシーンでも、興行ではあるものの、国歌が流れますよね。

想田:僕、大学時代は宗教学を専攻してたんで、スタジアムを儀礼論的に見てしまうんです。「儀礼」とは、ある種の信念や価値体系を確認し内面化するために必要な動作であり所作です。そういう観点から眺めると、人間はスタジアムのスポーツ観戦という儀礼を通し、毎回毎回、自分たちの価値観やアイデンティティを確認・強化している、とも言えると思うんですね。

さっき「オーストラリア人としてのアイデンティティ」という言葉がありましたが、日本人も「侍ジャパン」を応援することによって、日本人としてのアイデンティティを確認し強化しているんです。しかもメディア社会だから、その儀礼はスタジアムの外へも容易にはみ出していく。例えばサッカーのワールドカップであれば、試合はロシアで行われているのに、その様子がテレビで生中継されるので、日本の人々は渋谷にいながらにして熱狂できてしまう。そこにはスタジアム内と同様、自我が溶解するような気持ちよさがあり、「日本人としてのアイデンティティ」を内面化する機会となる。

―"自我の溶解"って、非常に的確な表現ですよね。いろいろな人種の、背景も過程も価値観も違い、収入の格差もある学生や観客たちが、あの空間では同じアクションを起こし、喜び、悔しがり、相手に対して「you suck!」とやったりする。スタジアムは、ひとつの意識を増幅させていくアンプのようにも感じます。加えて......少し話はそれるんですが、お金の流れのシステム、資金調達のシステムもよくできてるな、と感じたんです。

想田:その通りですね。

―寄付金は8割が税控除を受けられ、そして寄付するとパンフレットを配布できるなどの特典がつきます。こうしてVIPから資金を調達するシステムは、欧州のスタジアムにもあるんですよ。しかも、自分たちが持つ市場価値をしっかりと意識して、スポーツをビジネスとして成功させています。監督や選手に数億もの投資をして、これを回収して、得た資金は奨学金にして有能な学生を連れてくる。そしてボランティアも、彼らが持つミサに行くような気分や「社会に貢献したい」という思いをちょっと上手に利用していたりして......これはすごいと感じました。

想田:しかも、映像の力も使って、ビジネスを最大化しています。スタジアムに10万人入ると言っても、全世界の人口から考えれば「たかが10万人」です。ところが、映像の力を使えば、対象は急に100万人、1000万人の規模に膨らんでいく。その人たちがグッズを買ったり、コマーシャルを見たりするから、ビジネスの規模も何十倍にも膨らんでいきます。だからビッグハウスでもメディアや報道陣が優遇されていましたよね。

―食事も食べ放題だし。

想田:こうして、様々な価値体系が「スタジアム」というアンプリファイアと「映像」というアンプリファイアによって増幅していくんです。非常に危険で面白い空間・現象です。

―では、最後に今後の話も聞かせて下さい。想田監督は、スポーツ関連で、次にとってみたい映像ってありますか?

想田:同じ視点で東京オリンピックを撮影できたら面白いとは思いますね。スポーツと人間、スタジアムと国家、そんな関係性を観察する視点で撮ったら面白いものができると思います。撮らせてくれないだろうから、その可能性はあまりありませんが(笑)、競技自体は撮れなくても、撮りようはあるのかな、と感じます。

―実は僕、この映画を観てほしい人たちがいるんですよ。

想田:というと?

―スポーツ庁ができたあと、日本ではふたつ、注目すべき動きが始まっています。ひとつが「スタジアム・アリーナ改革」。2025年までに60のスタジアム・アリーナを作ろう、という構想です。もうひとつは「日本版NCAA(全米大学体育協会)」を作ろう、という動き。私はこういう活動をしている方たちに、ぜひ、このドキュメンタリーを見ていただきたいんです。きっと度肝を抜かれる面があると思うんですね。

想田:そうですね。今回の映画は僕も含めると合計17人で撮影しています。すると「自分ならこうは撮らなかっただろうな」という部分が出てくる。物理的にカメラの台数分だけ視点が増え、多角的な映画になっているんです。「みんなで撮る」ことには、利点もあれば、その真逆もあります。視点がどんどん移っていくので、一貫したスレッドが生じにくい。個人的な温もりや、観察者の体温みたいなものは映りにくくなる。反面、「スタジアム」という空間がキュービズムの絵のように多角的に描かれる。

―そうですよね。実を言うと僕は、欧州のスタジアムを巡るとき、試合って観なくてもいいんですよ。試合は「たまたまそこでイベントがあった」というだけで。それより主役はスタジアムなんですよね。

想田:それは相当にマニアックですね(笑)。それってほとんど「お遍路」とか「パワースポット巡り」に似てますね(笑)。

―本当にそうですよね、今日はいろいろ勉強になりました。「自分はずっと神殿巡りをしていたんだ」ともわかりましたし。

下付きテキスト
インタビュー後に記念撮影
(左から有川 編集長、想田 監督、筑紫 編集員)

映画『ザ・ビッグハウス』

◆公式ホームページ◆
http://www.thebighouse-movie.com

◆劇場情報◆
渋谷 シアター・イメージフォーラム、大阪 第七藝術劇場にて公開中、ほか全国順次公開

◆予告編◆

◆関連書籍◆
『THE BIG HOUSE アメリカを撮る』(発行=岩波書店)
想田和弘 著/発売中
https://www.iwanami.co.jp/book/b358687.html


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