2019年7月27日に開催されたJ1の試合は、等々力陸上競技場での川崎フロンターレvs大分トリニータの1試合だけでした。前週に第20節の8試合が開催されたものの、川崎が19日に明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2019でイングランドの強豪チェルシーとの国際親善試合に参加したため、川崎vs大分戦は次週の27日に開催されたのです。
両チームのサポーターだけでなく、多くのJリーグファンも注目していたこの試合は、実は発達障がいを持つ子どもたちの家族にとっても歴史的な一戦となりました。日本で初めて、スタジアム内にセンサリールーム※が試験導入され、川崎や大分の子どもたちが試合観戦に参加したからです。
※自閉スペクトラム症や感覚過敏など、発達障がいに起因する症状により、大観衆の人混みや大音量の歓声への対応に悩みを抱える子どもたちでも安心して過ごせる観戦エリア。欧米や豪州を中心に、サッカースタジアムや野球場、屋内アリーナなどのスポーツ施設での設置が広まりつつある。
「特別(非日常)を当たり前(日常)にしていきたい」
関係者の声に込められた願いの真意とは ― スポーツや福祉といった分野だけでなく、日本社会の在り方そのものにひとつの方向性を示した取り組みを追いかけました。
(取材と文・倉橋麻生 構成と編集・筑紫直樹)
(写真:The Good Bankers/Mao Kurahashi)
まず、今回の取り組みは、2020年東京オリンピック・パラリンピックの『共生社会ホストタウン』である川崎市、富士通、ANA、JTB、川崎フロンターレ、そして発達障がいを持つ子どもの家族たちが、目に見えにくい障がいを持つ人も参加・体験できる機会を提供するために進めてきたものですが、何と言っても海外の一般的なスポーツ施設のセンサリールームと異なるのは、フロンターレの対戦相手の大分からも参加者を募ったことです。全53名の参加者のうち、3組9名の方が遠路はるばる大分から参加したのです。
このため、ANAが参加客の大分からの移動、羽田空港での受け入れ、等々力陸上競技場までの誘導など、輸送面で大きなサポートを提供し、さらに同社の社員ボランティアも協力してくれました。
また、富士通は、感覚過敏の子どもの感じ方を疑似体験できるVR(仮想現実)コーナーをスタジアムの外のフロンパークに設置。まさに地域や官民の連携によって実現したプロジェクトといえるでしょう。
(写真:The Good Bankers/Mao Kurahashi)
(写真:The Good Bankers/Mao Kurahashi)
(写真:The Good Bankers/Mao Kurahashi)
(写真:The Good Bankers/Mao Kurahashi)
試合前、いよいよ子どもたちを乗せたバスが到着しました。実は今回参加した子どもたちには、スタッフや選手の名前がすべて写真付きで掲載され、「行き→試合観戦→帰り」までがすべてひらがなで説明された工程表が配られていました。
スタジアムに到着した参加者が、一般観戦客の入り口とは別の、VIPや選手の入り口の並びにあるスカイテラス行きのエレベーターに向かうと、そこでクラブやJリーグ関係者、それに大分トリニータのマスコットキャラクター『ニータン』が迎えました。
(写真:The Good Bankers/Mao Kurahashi)
試合前、子供たちはピッチサイドで選手たちとハイタッチする機会があり、笑顔でいっぱいに。そして、両チームのサポーターがこの日のために制作したウェルカムバナーを掲出しました。さらには、スタジアムの大型モニターに表示された出場選手リストも、すべてひらがなで表記される特別仕様。スタジアム全体でセンサリールーム参加者を歓迎したいという、クラブやサポーターの意気込みを感じました。
センサリールームに入った子どもたちは、テーブルでお弁当を食べたり、外へ出てみたりと自由に過ごしていました。早速、カームダウンルームを利用したり、泣き出してしまって外に出る親子もいたものの、総じてセンサリールームを受け入れてくれたようです。
試合が始まると、窓に張り付いて試合を見る子や、試合をまったく見ない子もいれば、ずっとカームダウンルームにいる子など、それぞれの方法で試合観戦の時間を体験している姿が印象的でした。
ハーフタイムには両チームのマスコットだけでなく、ものまねタレントのコロッケさんも登場。子どもたちは大喜びでした。
後半になると、センサリールームの環境に慣れてきたのか、窓際でフロンターレを応援する子どもたちも出てきました。一方で、部屋のおもちゃで遊んだり、スタッフと遊んでいる子、相変わらずカームダウンルームに心地良さを感じている子など、それぞれが多様な方法でサッカーとの関わり方をしていました。そして、子どもたちは試合終了間際にバスへと戻り、スタジアムを後にしました。
日本で初めて、スタジアム内に整備されたセンサリールームでの試合観戦。この歴史的な取り組みの実現を、参加者や関係者はどうみたのでしょう。現場での声を拾ってみました。
「うちはとにかく落ち着きのない子なので、他の人にも迷惑をかけてしまうのが心配だったのですが、今日は自由にこの部屋で過ごすことができたので、親としてはありがたかったです。
あと、うちは男の子3人と人数も多く、年齢差もあれば個性も違うのですが、それぞれが思い思いに過ごせるのがいいと思いました。
子どもたちにとってサッカー観戦は初めてだったのですが、関心を持ったようです。明日※のイベントも楽しみにしているみたいです」
※試合翌日には、川崎フロンターレ麻生グランドで発達障害の子どもを対象としたサッカー体験教室が開催された
「子どもたちと試合に来ると、いつも前半でダウンしてしまって嫌がるので、今までは前半だけで帰っていたんです。でも今日は、初めて後半までちゃんと試合を見ることができました。
バリアフリー化が進んでいる中で、こういう取り組みは既にあるものだと思っていたのですが、日本で初めてなんですね!これからも、ぜひぜひやってほしいです」
「最近、発達障害や感覚過敏のような障がいを持つ子は増えていますが、このような場に呼ばれたのは初めてのことです。
音がうるさいのが苦手な子が、ずっとカームダウンルームに入りっぱなしだったりしたけど、パニックになる子もいなくてよかったです。参加した子どもたちの様子はおおむね良好でした」
横浜市中部地域療育センター
高木一江所長(医学博士)
「今回、募集の2倍の応募がありました。参加料が1人5,000円だったのにも関わらず、ほとんどのご家族が3人以上で参加されていました。
川崎フロンターレのTwitterでも、普段は『いいね』が300くらいなのですが、今回の企画について告知したところ、1,500くらいの『いいね』がありました。
イギリスのアーセナルには、チームスタッフに感覚過敏などの知識がある人がいましたが、今回は川崎フロンターレ応援団のサポートがとてもありがたかった。
彼らの『みんなで応援できる社会をめざす』という理念が本当に素晴らしいですね。課題としては、少々手厚すぎたかもしれないということですね。
(今回協力してくれたスタッフは)本当によくやってくれましたが、今後、これだけのことを毎回するとなると、チームでやっていくという意味では持続可能でなくなってしまいます」
オリンピック・パラリンピック推進室
成沢重幸担当課長
「細かいところではいろいろありましたが、全体的にはうまくいったと思います。今回は大分から3組を迎えました。台風が心配されたのですが、子どもたちのテンションも高かったですね。
川崎市は障がい者に優しい町を目指していますので、2020年のオリパラは通過点に過ぎないと考えており、目標達成のためには、今後も取り組み続けることが重要だと考えています。誰もがスポーツを楽しめる環境を整えたいですね。
今後、この活動について、どうアクションして広げていくかということですが、今日も2万人の観客がいましたが、このことを知っているのはごく一部の方たちです。多くの人たちにどう伝えて理解してもらうかが今後の課題だと考えています」
原隆理事・室長
「今回は総勢約50人の企業ボランティアの方々がスタッフとして参加しました。また多くのメディアでも取り上げていただき、今回の取り組みの注目度の高さを表していると思いました。
同時に、今後に向けた課題も多く見られましたので、今後に向けて細かく検討していきたいと考えています。
ただ、第一歩は踏み出せたと思っていますので、これからも参加してくれた子供たちや、保護者の笑顔のためにたくさんの方々と協力して継続していきたいと思っています。」
鈴木順氏
「我々はチームの応援団であり、同時に地域のサポーターでもあります。なので、地域のイベントには積極的に協力していこうと思っています。そういう意味でも、みんなで楽しめる、応援できる社会をめざしています。
今日は、フロンターレとトリニータの応援歌の歌詞カード(すべてひらがな)を作って子どもたちに配布しました。
今回のセンサリールームの企画も、単なる単発イベントではなく、継続していくことが大事だと思っており、こちらとしても今後もサポートしていきたいです」
山崎真代表
(写真:The Good Bankers/Mao Kurahashi)
最後に、自らも発達障がいを持つ子どもの母親として、20年近くにわたり、ユニバーサルデザイン社会の実現に向けて活動を続けている橋口亜希子氏のコメントを紹介します。
「この日を迎えられて、もう胸がいっぱいです。こんなにたくさんのスタッフに支えられて本当にありがたいことです。やっぱり、子どもたちの笑顔を見たいですから。サッカーの力は別の困難さをクリアできる力を持っていることから、トリニータの試合を応援しに行くという動機付けを元に、困難さのある飛行機の旅行にチャレンジしてクリアして、大きな自信とその子の世界を広げたいと考え、今回、大分の子どもたちも募集いたしました。
また、発達障害の課題の一つに地域差があることから、川崎に住んでいる子供たちだけが観戦できるのではなく、全国にクラブがあるJリーグを通して、どの地域に住んでいてもサッカー観戦ができるようにしていくという目的もありました。そして、次回は川崎の子供達がアウェーに応援しに行く。
またその次は、その土地の子がアウェーに応援しに行くなど、サッカー×ユニバーサルツアーとコラボすることでできないをできるに変えて、バトンをつなげていく取り組みとしていきたい。これが一番大きな目的です」
日本で初めての取り組みということで、前例もない、何が起こるかわからない中で、現場は相当大変だったと思います。同時に、テレビ局や新聞記者などのメディアも多く来ており、注目の高さを感じました。
一方で、あまりにみんなが注目してしまい、かえってその大人の存在が子どもたちに圧迫感を与えてしまったこともあるのではないかとも感じました。
関係者の談話にもあったように、持続可能な方法、在り方でこの取り組みが続き、やがてそれが「当たり前の風景」になることが、最終的な着地点なのでしょう。
とはいえ、すべての皆さんが口をそろえて「子どもたちの笑顔を見られてよかった!」と喜んでいたことが、この歴史的な一日の最大の収穫だった気がします。
スポーツや文化活動に誰でも参加できることが特別なことではなく、当たり前のこととして受け入れられている社会。この日、そんな未来の花を咲かせる種が等々力で芽吹きました。この芽を大事に育て、センサリールームが当たり前の社会を実現するバトンは、たしかに次のスタジアムたちへ受け渡されたといえるでしょう。
(写真:The Good Bankers/Mao Kurahashi)
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