アヤックス、アムステルダム・アレナの名称を「ヨハン・クライフ・アレナ」へと変更
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改名が決まったアヤックスの本拠地「アムステルダム・アレナ」
改名が決まったアヤックスの本拠地「アムステルダム・アレナ」 (画像:Scottbri90)

オランダ・エールディヴィジ(1部)の名門、AFCアヤックスは、クラブの伝説的な選手だった故ヨハン・クライフ氏にちなんで本拠地「アムステルダム・アレナ」の名称を変更する、と発表した。

2018-19年シーズンより、同スタジアムは正式に「ヨハン・クライフ・アレナ」に改名する 。

2016年3月にがんで他界したクライフ氏だが、同氏が生きていれば71歳の誕生日にあたる2018年4月25日に、新しいロゴが設置される。

クライフ氏の家族は、「スタジアムが正式にヨハン・クライフ・アレナとなるという知らせを嬉しく思います。」と公式声明で伝えた。

アヤックスの元GKで、現在はクラブCEOを務めるエトヴィン・ファン・デル・サール氏も、「ヨハン・クライフはクラブ史上最高の選手で、アヤックスをオランダ国内だけでなく、世界的にも有名なクラブへと押し上げてくれました。アレナが、彼の名前を冠したスタジアムになるのは素晴らしいことです。」と語った。

クライフ氏は1964年にアヤックスでデビューし、3-1で敗戦したGVAV戦でいきなりゴールを決めた。同クラブで 240試合に出場し、190ゴールを記録した後、1973年にスペインの強豪バルセロナに移籍した。

FCバルセロナで143試合出場143ゴールという活躍をし、1980年に渡米すると、ロサンゼルス・アズテックスとワシントン・ディプロマッツでプレー。

1981年にスペンに戻った同氏はレバンテUDでプレーした後、母国オランダに帰国し、古巣のアヤックスで再びプレーしたが、83年の契約満了後にライバルのフェイエノールトに移籍。そして、1984年に惜しまれつつも引退した。

クライフ氏はオランダ代表でも中心的な線種と活躍し、48試合で33ゴールを決めた。

サッカーの歴史に刻まれた「クライフ・ターン」と呼ばれるテクニックは、今も世界中の選手に愛されている。

Copyright: Xperiology/TheStadiumBusiness.com - reproduced with permission.
元記事 - AJAX TO RENAME AMSTERDAM ARENA AFTER LEGEND CRUYFF

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